命を救う『田舎のありふれた家庭の和食』先日、大腸内視鏡検査を受診した。二十数年前にも受診したことがあるので、大体のことは、心得ているつもりであった。 その折には、一番苦しかったのは、大腸に空気を送り込ん大腸を膨らまされたことであった。 が、今回は、時折、下腹の陰部のあたりに思わず声を出さずにおれない程の痛みを覚えたことであった。 空気が送り込まれる折に、大腸が膨らんで前立腺を圧迫していると思われる痛みであった。 処方されて、リピトール錠を飲んでいる。 前立腺肥大による排尿障害の改善のために、である。 おかげ様で、自覚的には、気持ちよく排尿できているので、日常生活上では、排尿障害を感じることは殆どなくなっているので、前立腺肥大であることを忘れているほどであった。 しかし、この大腸内視鏡検査の折には、前立腺肥大であることを思い知らされたのである。 かろうじて、痛みをこらえることはできたが、やはり、思わず、痛っ!と、声を出さずにはおれなかった。 ※ ※ ※ 案の定、翌日の朝一番の排尿後の便器を覗いてみると、血が混ざって便器の水が赤く染まっていた。 しかし、その後の排尿には、血が混ざることはなくなっていた。 大腸内視鏡検査時の前立腺肥大症の影響であったことを、明白に感じた。 ※ ※ ※ 大腸内視鏡検査のための事前の問診票には、もちろん、前立腺肥大症の申告欄があるので、自分でも検査の影響がある可能性に心得ていたし、主治医も菜翁が旨さんの前立腺肥大の症状を十分に把握して大腸内視鏡検査を勧めたのでろうことも心得ていたので、安心して受診し、その影響の結果にも充分に納得できたものであった。 そういえば、主治医は事前の診察の折に、肛門に指を入れる触診があった。 この折に、前立腺肥大症の大腸内視鏡が菜翁が旨さんの肛門(大腸入口)を無事に通過できるかどうかの確認を含めた触診だったのかも・・・ということも思い出した。 前立腺肥大症の症状によっては、大腸内視鏡が挿入出来ないか、より細い内視鏡のある大病院で検査を受ける必要があるのかもしれないとも思った。 家庭医の必要性を思い起こして、その大切さを感じた次第である。 余談であるが、ポリーブは発見されなかったので、ひと安心・・・であった。 菜翁が旨さんの自家菜園の野菜中心に、青魚や海草や良質のタンパク源である大豆製品の多いそして適宜のヒトの体温より低い獣肉の摂取などの長年の食生活は間違っていなかった、、感じ入っている次第である。 菜翁が旨さんの長年の食生活とは、和食には違いないが、ではあるが、世界遺産などで紹介されるような観光用や料亭や飲食店などの営業用の和食ではなくて、いわゆる、『田舎のありふれた家庭の和食』である。 ※ ※ ※ 近所に、郵便局を定年退職して、人間ドッグで検診を受けたところ、手遅れのすい臓がんが発見されて、半年ほどで亡くなった人がいる。 日常生活を推察してみるに、農家ではなく、また、家庭菜園もなく、日常の食事は脂っこいものが多いことをうかがい知ることができ、両親やその兄弟にはガンで亡くなった方が多い家系のようであった。 身体の中で最も負担の多かったすい臓が癌に狙い撃ちされたようにも思える。 せめて、家庭菜園があって、休日だけでも野菜中心の食事で、休肝日にならぬ休膵日があったなら・・・とも思う次第である。 早食いの習慣がが長く続いても、膵臓に負担をかけるようである。 定年後の再雇用の職場の同僚に、高度経済成長時代からダム工事などの建設現場を渡り歩いていた人がいた。 本人の性格と職場の性格から、もう何十年もの早飯食いの習慣が身に浸みている人であった。 なんせ、職場で一緒に昼食を食べても、私らが二口、三口食べたころには、もう、食事を終えているような早食いであった。 案の定、ある日、七転八倒して転げ回るようなものすごい痛みを伴う『急性膵炎』で入院し、膵炎だけで、ガンでなかったことは、幸いであった。 ※ ※ ※ 癌は、その人の日常生活、特に食生活での最も弱いところを攻めてくるようにも思えそうである。 少なくとも、欧米人より腸が長いといわれている日本人にとっては、和食は命を救ってくれる機会の多い食生活であろうと思われる。 ※ ※ ※ そういえば、最近、和食が世界遺産に登録されたそうだが、世界遺産に謳う『和食』は、調理方法と料理を盛りつける器や盛り付けかただそうで、菜翁が旨さんのいう『和食』は、日本古来からの野菜や調理法、特に葉緑素をたっぷりと含んだ自家製等の安全性の高いことを目の当たりにすることのできる近郊菜園産の大量の野菜などの煮つけをメインにした調理法のことである。 世界遺産に謳う『和食』は、その安全性に疑問を呈する余地のある中国産の野菜でもよいといえそうである。 |